この記事の目次
1.チェッカー無線グループの紹介と仕組みについて
オレンジの目立つ車両が目印
今は亡き名優・渡瀬恒彦さんが主演した「タクシードライバーの推理日誌」で、主人公役の渡瀬さんが乗っていたオレンジ色のタクシー…其れこそ正にチェッカー無線グループのタクシーなのです。
オレンジ色の車体に白灰色のチェックストライプが入り、どこに居ても目立つチェッカーのタクシー。東京無線のグリーンのタクシー(バッタ)と並んで、東京の街の風景として定着しました。
ご存知の通りチェッカーも、東京無線同様中小タクシー事業者のタクシー配車無線の事業運営団体なのです。
「チェッカー無線」「チェッカー」の2種類ある
ここで皆さんには疑問が沸きませんか?
「何で東京無線とチェッカー無線って、分かれる事になったの?」
では、チェッカー誕生の話を見ていく事にしましょう。
時は1960年代…
四社などの巨大タクシー資本に対抗するため、東京無線などの中小連合体結成が進んでいく中。中小事業者へトヨタ車を収めていた東京トヨペットが呼びかけ人となり、主に城東地区の中小タクシー事業者が集まって「トヨペット研究会」が結成されました。
その会合の中、東京トヨペットが運営母体となったタクシー無線配車事業を立ち上げる話が浮上。1964(昭和39)年、チェッカー無線の前身となる「株式会社タクシーサービスセンター」が設立されました。
当初加盟したのは、錨自動車(渋谷区)と月島自動車(江東区)の二社。しかし、現在の東京ヤサカ自動車(品川区)やグリーンキャブ(新宿区)が加盟した頃から、加盟社も急速に増えて行ったとされます。
こうして勢力を拡大した「タクシーサービスセンター」は、いよいよ統一ブランド化を目指して動き出します。
その後のお話は、ウィキペディアからどうぞ…
現在のチェッカー無線グループは、チケットや乗り場運営を統括する「㈱チェッカーサービス」と、無線配車事業を統括する「チェッカー無線協同組合」の二つで構成され、その下に東京・神奈川等の加盟49社が組織をしています。
一時期は東京無線を抜いて、東京営業エリア最大の5,000台強を有する一大勢力となりましたが、2004(平成16)年に、最大加盟社のグリーンキャブが脱退したのを機に勢力が縮小。現在は、加盟社併せて3,300両前後での営業と聞きます。
ところで、チェッカー傘下のタクシーには、大きな特徴があります。
それは、行灯を見れば一目瞭然。「チェッカー無線」と「チェッカー」の二種類が存在するのをご存知でしたか。
「チェッカー無線」行灯のタクシーは、無線組合からの無線を受けられるのに対し、「チェッカー」行灯のタクシーは、無線を受けられない「非無線対応車」又は独自無線運営という意味なのです。東京無線が、加盟社に対して独自無線運営を禁じているのに対し、チェッカーは独自無線も認めていたのです(と言う訳でグリーンキャブは、加盟当初から独自運営)。
2.チェッカー無線グループの乗務員・求人動向について
説明会はグループ合同で開催、研修は各社毎
東京無線同様、チェッカー無線傘下の事業者は各々独自に乗務員を募集するスタイルをとっています。ただ、唯一東京無線と違う点は、チェッカーの組合が主催して、エリア別加盟社を集めた合同説明会を開いていると言う点です。
こうして採用された候補生は、それぞれ各社で二種養成や路上研修などを行います。チェッカー無線として統一した集合研修は一切行われていない模様で、全て加盟社任せになっているのが実情。そのため「チェッカーのタクシーは、アタリ外れがデカ過ぎる」と言った悪評が立っています。
加盟社の採用動向ですが、傘下大手の東京ヤサカ・日月東交通(じつげつあずま…と読む)・三陽自動車は、積極的に乗務員を募集しています。また、チェッカー組合が独自で立ち上げた事で注目されている「東京りんかい交通」(江東区新木場)も好評の様で、乗務員を募集中です。
チェッカー系列の積極採用をしている会社(2019年2月)
- 東京ヤサカ(http://www.yasaka.jp/group/taxi/tokyo_yasaka.html)
- 日月東交通(http://www.nichigetsu.fuji-group.jp/index.php/company)
- 東京りんかい交通(https://www.rinkai.fuji-group.jp/)
3.ここだけ!「チェッカー無線グループって、どうよ?」
現役チェッカー乗務員2名にインタビュー
さて… 今回ご登場頂くチェッカーの乗務員の方は、お二人居ます。
Aさん(60代前半)
乗務歴、な・何と13年。都内の主要「抜け道(ここがミソ)」は、ほぼ全て頭に入っていると言う。主要幹線道の信号タイミングも全てインプットされ、時間によって道を使い分ける…正に「人間カーナビゲーション」。
Bさん(30代後半)
東北地方出身。勤めていた会社のリストラに遭い、やむを得ず家族を残して上京。チェッカー傘下のタクドラに。現在乗務3年目。Aさんの弟子になって「タクシー王、オレはなる!」と日々研鑽を積んでおられる。
さてさて…どんな話になるやら(笑)
堀端
「 チェッカー傘下の乗務員を「一言」で言い表すなら?」
A・B(そろって)
「人情味が厚いってことかなぁ。」
Bさん
「私たちの主戦場が城東地区(足立・墨田・江東・江戸川)なので、あったかいお客さんが多いですね。『あのぅ、まだデビューして3回目なのですが。』何て言っても『あっそう。じゃぁ教えてあげるから、さっさと車出して。』
で済みます。大手町じゃぁ、そうはいかないでしょう。」
堀端
「ぶん殴られないにせよ、イチロー君(川鍋会長)のところへ電話が行って、明けでお座敷に通されるのがオチですよ(お座敷に通される=別室で上長から罵倒されるorタクシーセンターへ行ってけん責を受ける)。」
Aさん
「まぁ、俺たちゃそんな世知辛いところで営業するのは、まっぴらごめんだな。夜の銀座で大物引っ掛けに行く時や、朝小洒落たオフィスビルへ送るとき以外は、御用ナシって。そんなとこ行かなくっても、城東エリアで一日流したり駅付けしてりゃ、軽く5万は行っちゃうよ。」
堀端
「城東地区って、昼間は客が居ガクンって減るって言われてますけど…」
城東4区(足立・墨田・江東・江戸川)はチェッカーの縄張り
Aさん
「そこが四社の連中の悪い癖だ。錦糸町・門仲(門前仲町)・新木場…とにかく乗せて欲しいって人が山盛りだよ。昔っから「城東ならチェッカー」ってイメージがお客さんについてるから、俺たちも最初の研修で、この地区はウラのウラまで教えられたもんだよ。」
堀端
「城東地区じゃ、チェッカーさんは「ブランド」なんですね?」
Bさん
「ブランドとは行きませんが「乗って間違いない」「呼んだら、すぐ来てくれる」と思われてきたのは事実って先輩から聞かされています。この前、綾瀬から羽田へ送ったお客さんから「日交やkmは、幾ら呼んでも『空車が居ません』の一点張り。それに比べて、チェッカーは本当に役に立つ。」と褒めてもらいました。正直、城東地区ならチェッカーですね。」
Aさん
「でも最近は、お宅のイチローさん(日本交通・川鍋会長)が城東へ進出しているね。『幾ら出て来ても無駄だよぉ』なんて思っていたけど、最近は錦糸町や新小岩・門仲の付け待ちの列まで「桜にN」がタカって、ちょっと気持ち悪いな。」
堀端
「話は変わりますが、Bさんは東北で家族を残して、こちらでタクドラをやっておられますが、生活は如何ですか?」
Bさん
「贅沢は出来ませんが、不自由はしていません。寮も会社のあっせんで、ワンルームで月2万円と破格値。家族への生活費も、結構送れています。さすがに家族を呼び寄せる事は出来ませんが、帰れるチャンスも増えて来ていますよ。」
Aさん
「Bはいい生活していると思うよ。だって、向こう(東北)じゃ工場勤めで土日休みあるっても、手取りで20万割るって聞いて卒倒したよ。人間が生活出来る給料じゃないぜ。悪いけど俺だって、この年で、毎月手取り30万以上平気で貰っているよ。
Bさん
「私の周りに居るチェッカー乗務員も、九州だの北海道出身だのって人が相当います。元の仕事を聞けば「本当に生活出来るの?」って悲惨な状況だった人が結構いますよ。
そして、殆ど辞めません…そう、辞められないでしょう。福岡出身の乗務員が、養成費用などを返し終わった頃に「家族が待つ福岡のタクシー会社に再就職して、もう一旗揚げる!」って帰って行った人ぐらいですかね、辞めた人は。」
Aさん
「チェッカー出身の個タクドライバーは、結構いるよ。足立とか城東エリアの支部はいわゆる「チェッカー閥」で知られて、四社出身の奴なんかいじめられて近寄れない位だって(笑)。」
堀端
「ひえ~っ。僕も個タクになるんだったら、城東エリア支部への加盟は辞めておきます~。」
チェッカー無線のまとめ
人情味があふれるお客とドライバーが多い
如何でしたか?チェッカー無線グループのタクシー運営や、乗務員採用の事。
更には、チェッカーグループ加盟社を巡るウワサまで色々お解り頂けたと思います。少しでも、皆さんにチェッカー無線グループの姿を知って頂ければ幸いです。